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2020-02-15 (Sat) 18:46

李賢は『魏志』を見ている!その40

合間合間に【案今名邪摩惟音之訛也】について、ネット検索をやっているが、やはり「今の名は、邪摩惟という音の訛也」と読んでいる人が少なくない。それと、この「訛」だが、「馬」と「摩」、「臺」と「堆」は、どちらも同じ音だ!と思っている人も少なくないかのようである。

この件についての明白な見解を、私は今年の元旦にこのブログに案内しておいたが、その一部分を抜粋して掲出しておこうと思う。

永井俊哉ドットコム 日本語版「ヤマトは本来どこにあったのか」

邪馬壹國派の塚田敬章は、『後漢書』倭伝に「案今名邪摩惟音之訛也」という注があることを指摘して、これに反論している。

    隋書にしたがえば、「魏志には邪馬臺国と書いてあった」ことになります。言葉通り受け取る人もいますが、そう簡単にはいかない。後漢書(百衲本)の、「大倭王は邪馬臺国に居す。」という記述に、「今名を案ずるに、邪摩惟音の訛なり。」という唐の李賢注が続くからです。訛は言葉が誤って変化したことを表す文字です。より古い邪摩惟(ヤバユイ)音の伝承があり、それが変化して今名(唐代)のヤバタイ(邪馬臺、邪靡堆)になったのだとされ、そして、後漢書に百数十年先立つ魏志が邪馬壹国と表記している事実があるわけです。[5]

塚田は「賢注の入れられた頃の「臺」「堆」は同音です」と言い、『三国志』に書かれている「邪馬壹=邪摩惟」が本来の音で、それが今の「邪馬臺=邪靡堆」に訛ったというように解釈する。だから後世の歴史書が「邪馬臺」という訛りの音写を採用しているからと言って、『三国志』が編集されていた頃は「邪馬壹」であったことと矛盾しないというのである。

しかし、塚田の主張は正しくない。まず「臺」と「堆」は、当時同音ではなかった。元朝時代の近古音(中原音韻音系)ではともに[t’ai]であるが、『隋書』や『北史』が編集され、李賢が注を書いた七世紀は中古音の時代であり、「臺」は[dəi]と発音され、「堆」は[tuəi]と発音され、明確に区別されていた。また「邪摩惟」が「邪馬壹」の伝承というのも正しくない。「壹」の中古音は[.iět]で、「惟」の中古音は[yiui]で、両者の間に伝承の関係があるとは言えない。李賢が『三国志』の「邪馬壹」を意識しているのなら、「邪摩惟」とは書かずに、「邪馬壹」と書くはずだ。

https://www.nagaitoshiya.com/ja/2010/yamadai-yamatai-yamato/#comment-5331

永井俊哉氏が、「惟」や「壹」を成立時のオリジナルだと捉えている点については、誤写誤刻の実態を知悉していない故のことと考えられるが、塚田氏の「同音です」に反論し、「李賢が『三国志』の「邪馬壹」を意識しているのなら、「邪摩惟」とは書かずに、「邪馬壹」と書くはずだ」というのは、至極尤もなことで、「惟」に引きずられている人々は、このような単純な想定にも考えが及ばないかのごとくである。


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最終更新日 : 2020-11-07

No Subject * by 形名
「臺」=[dəi]・・・・呉音(揚子江付近から南部)
「臺」=[tuəi]・・・・漢音(長安西都付近の漢中)
今まで、このように地域で理解していたのですが、音韻
学では時代的な分類(上古音~中古音~近古音)も意識
しなければならないのですね。複雑そうで付いて行け
そうにない。(笑)

>音韻学 * by hyena_no_papa
形名さん、こんばんは(^^)

>複雑そうで付いて行けそうにない。(笑)

何をおっしゃいますやら~ 少し大きな図書館なら、大きな辞典なんかも揃っているでしょうから、調べればなにか分かるんじゃないでしょうか?

とにかくこの件は、李賢の生きた時代を忘れなければ、簡単に解ける問題です。

先程、確認したのですが、南宋紹興年間に編纂された『通志』という本があります。『魏志』から引文していますが、「倭国之所都」として「邪馬臺」とあり、そこには「邪馬臺亦曰邪靡堆音之訛也」と付注されています。『隋書』の「邪靡堆」を用いていますが、「邪摩惟」も「邪馬壹」も出てきません。現行刊本に見える「惟」は単なる誤写誤刻とみていいでしょう。

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No Subject

「臺」=[dəi]・・・・呉音(揚子江付近から南部)
「臺」=[tuəi]・・・・漢音(長安西都付近の漢中)
今まで、このように地域で理解していたのですが、音韻
学では時代的な分類(上古音~中古音~近古音)も意識
しなければならないのですね。複雑そうで付いて行け
そうにない。(笑)
2020-02-15-23:34形名 [ 返信 * 編集 ]

hyenanopapa >音韻学

形名さん、こんばんは(^^)

>複雑そうで付いて行けそうにない。(笑)

何をおっしゃいますやら~ 少し大きな図書館なら、大きな辞典なんかも揃っているでしょうから、調べればなにか分かるんじゃないでしょうか?

とにかくこの件は、李賢の生きた時代を忘れなければ、簡単に解ける問題です。

先程、確認したのですが、南宋紹興年間に編纂された『通志』という本があります。『魏志』から引文していますが、「倭国之所都」として「邪馬臺」とあり、そこには「邪馬臺亦曰邪靡堆音之訛也」と付注されています。『隋書』の「邪靡堆」を用いていますが、「邪摩惟」も「邪馬壹」も出てきません。現行刊本に見える「惟」は単なる誤写誤刻とみていいでしょう。
2020-02-15-23:49 hyena_no_papa [ 返信 * 編集 ]