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2020-05-11 (Mon) 19:42

『魏志』公孫度伝の支石墓?

公孫度伝を読んでいて、?と気になった箇所が。

【時 襄平 延里社生大石,長丈餘,下有三小石為之足。或謂度曰:「此漢宣帝冠石之祥,而里名與先君同。社主土地,明當有土地,而三公為輔也。」度益喜。】

〈拙訳〉
時に襄平県延里の社(やしろ)に大石の生じ,長さ丈餘り,下に三つの小石有りて之を足と為す。或ひは(公孫)度に謂ひて曰く:「此れ漢の宣帝の冠石の祥にして,而るに里名も先君(公孫延)と同じい。社は土地の主にして,當に土地を有し,而して三公を輔と為すは明らか也。」(公孫)度は益(ますま)す喜ぶ。
(筑摩参照)

これは間違いなく支石墓だろう。

筑摩Ⅰp259に、
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注(11)前漢昭帝の時代に泰山郡の萊蕪山で、やはり大きな石がひとりでにつっ立ち、三つの小さな石が足となる異変があった。それは皇帝がのちに即位する瑞兆とされた。
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「ひとりでにつっ立ち」というのは話の潤色だろう。
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最終更新日 : 2020-05-11

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