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2020-05-13 (Wed) 18:29

もう一つの「赤壁の戦い」~廻護の例~

『魏志』夏侯尚伝 黄初三年
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黃初三年,車駕幸宛,使尚率諸軍與曹真共圍江陵。權將諸葛瑾與尚軍對江,瑾渡入江中渚,而分水軍于江中。尚夜多持油船,將步騎萬餘人,於下流潛渡,攻瑾諸軍,夾江燒其舟船,水陸並攻,破之。城未拔,會大疫,詔敕尚引諸軍還。益封六百戶,并前千九百戶,假鉞,進為牧。
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筑摩(Ⅰp285)の夏侯尚伝を読んでいる限りだが、まるで赤壁の戦いの再現のように見える。魏軍に疫病が大流行し、結果撤退した点まで似ている。

折を見て読み下しを試みてみよう。

2020/5/25
〈拙訳〉
黃初三年(222),(文帝の)車駕は宛に幸(みゆき)し,(夏侯)尚をして諸軍を率(ひき)ひ曹真と共に江陵を圍(かこ)は使む。(孫)權の將たる諸葛瑾は(夏侯)尚の軍と江を對し,(諸葛)瑾は渡りて江中の渚に入り,而して水軍を江中に分(わか)つ。(夏侯)尚は夜に多く油船を持ち,步騎萬餘人を將(ひき)ひ,下流にて潛(ひそ)かに渡り,(諸葛)瑾の諸軍を攻め,江を夾(はさ)みて其の舟船を燒き,水陸並(なら)びに攻めて,之を破る。城未だ拔けざるに,大疫に會(あ)ひ,(夏侯)尚に詔敕して諸軍を引き還らしむ。封六百戶を益し,前と并(あは)せて千九百戶とし,鉞(まさかり)を假し,進めて牧と為す。

坂口和澄氏の『正史三國志群雄銘銘傳』夏侯尚の項によればこの時の一戦については『魏書』董昭伝、『呉書』潘璋伝、『呉書』諸葛瑾伝それぞれに話の様相が異なる。p128より引用する。
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むしろ負けたのは夏侯尚のほうである。『三国志』は随所に廻護(かいご:わざと事実の直言を避ける。趙翼『廿二史箚記』)するところが見られるが、夏侯尚のこの件もその一例であろう。
勝ったとは思えないこの作戦の後、何故か夏侯尚は領邑六百戸を加増されて計千九百戸となり、荊州の牧に昇進した。
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赤壁の戦いの段の際も思ったが、〝書いてある通りに理解する〟なんてことはかなり難しい。額面通りに受け止めれば矛盾した答えが導かれてしまうから。
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最終更新日 : 2020-05-25

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