「魏志倭人伝」への旅 ブログ版

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2020-08-30 (Sun) 16:42

「日枝神社」と「日吉神社」

『季刊邪馬台国57号』p118-119「編集部注」

日枝山が『古事記』に見えることを述べ、「日枝山」は「比叡山」のことであると言う。続いて「日吉神社」についての沿革を述べた後、

「東京の「日枝神社」について、『神道辞典』には、つぎのようにのべられている。
「明治元年(一八六八年)の神仏分離までは日吉山王権現・山王社などと称せられたが、神仏分離令にもとづいて日枝神社と社号を改めた。」
つまり、それまでは「日吉山王権現」「山王社」とよばれていたのを、『古事記』の「日枝山」の記載によって、「日枝神社」と社号を改めたとみられる。
このような事情は、青森県市浦村(旧北津軽郡相内村)の「日吉神社」のばあいも、同じであったとみられる。〈中略〉
江戸時代の寛政年間に、一般の人が、奉納額に書くさいに、「日枝神社」などと、もっぱら明治の神仏分離以後に改められた呼び方で書くことがあったのであろうか。また、青森県市浦村のばあいは、明治以降も、「日吉神社」と書かれることはあっても、「日枝神社」と書かれることは無かったように見えるのである。
江戸の寛政時代に、この神社を「日枝神社」と書かれることがあったという確実な証例が欲しいところである。」

と解説している。

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最終更新日 : 2020-08-30

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