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2020-09-01 (Tue) 11:15

終戦前後、喜八郎氏は飯詰にいた!?

『季刊邪馬台国51号』編集部「『東日流外三郡誌』が偽書である状況証拠」p58-59
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しかし、昭和生まれの、中野学校出身者はいない。また、和田喜八郎氏の親戚の人たちの話でも、和田喜八郎氏が、学校へ行っていたということはないという。当時を知る人たちの話では、昭和十五年~昭和二十三年のあいだ、和田喜八郎氏は、飯詰に住んでいたという。
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不思議なことに、喜八郎氏自身が書いている自称軍歴について、それが正しいとする証言は親戚の方や地元の方から出てこない。喜八郎氏の〝軍装写真〟1枚が『新・古代学 第2集』p106に掲げられているが、これを以て軍歴の偽り無きを証明したつもりなのか?
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最終更新日 : 2020-09-01

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