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2020-09-12 (Sat) 17:49

『東日流外三郡誌』の正本と副本

『東日流六郡誌絵巻 全』山上笙介「『東日流六郡誌絵巻』と原書群」p3
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原本焼失、他見無用の控書

 「東日流誌」諸巻は、すべて、二部ずつ作成された。秋田藩主に提出される正本と、和田長三郎吉次が自家に伝えようと書写した控書であった。したがって、現存する和田家所蔵の書巻には、残らず、「原書控」、「控書」、「控」と記されている。
 正本は、文政十年八月に失われたと伝えられる。完成後、秋田家に提出されたが、わけあって、主編纂者である次郎孝季に預けられ、孝季は、秋田土崎湊の日和見山に帰って、当時、自宅に保管していた。ところが、近隣から火事が起って、類火により住居を全焼する災禍に遭った。ために、苦心の著書や編著書も、ことごとく焼失してしまったのである。こうして、「東日流誌」類は、和田家だけに遣ることになったという(和田家伝)。
 和田家では、長三郎吉次の亡きあと、長三郎基吉、つづいて、権七=長三郎が相続をしたが、ともに、父・祖父らが苦心の貴重な遺産を守り、腐朽、もしくは、虫食いなどによって破損したばあいは、丹念に写本するなどして、大切に保管をつづけた。
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確かに「和田長三郎吉次が自家に伝えようと書写した」とある。正本はことごとく焼失したのだから、こんにち伝わる『東日流外三郡誌』は吉次書写の副本を出自とすることは明らかである。

「寛政原本」だと古田氏が主張する『東日流外三郡誌 二百十巻』が、なにゆえ「何種類かのいくつもの筆跡で書かれています」なのか?
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最終更新日 : 2020-09-12

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